本来の娯楽産業としてのパチンコの姿とは

 

スタートは40台のスロ専だった。当時は8枚交換の時代。2号店は60台のスロ専。今度は10枚交換で営業した。この成功をきっかけに店舗を拡大。専門店2店舗は売却し、現在はホールを3店舗運営している。

 

「等価は時代に合っていない。パチンコは40玉の時代なのに、等価にしがみついているからダメ。目標とする40玉にするにはそれなりの準備が必要になる。お客さんに慣れてもらうために30玉交換の段階を踏んでいかなければならない。近くの競合店が等価だからと踏み切れないからダメ」(ホールオーナー)

 

3店舗中1店舗の貯玉を清算し、等価から30玉交換に変更した。

 

当初は大きな批判もあったが、「他店よりもよく回る」と4円の稼働が上向いている。3033玉交換の需要があることを肌で感じている。

 

ただし、ヘソスタートが等価仕様であったり、新基準機で初当たりが400個だったりで、低価交換仕様になっていないことが厳しい。

 

このホールのように原点回帰する動きを業界全体で行わなければ、未来はない。

 

「本来のあるべき娯楽センターの姿にしなければならない。娯楽センターとは何かをみんなで考える時期だ。それを逸脱したからホールはバクチ場となった。そこに利権が生まれ、行政が介入しておかしくなった。余計な要りもしないものでホールに負荷をかけた。それがプリペイドカードだった。2台に1台の割でサンドを設置したが13万円の時代に、各台ユニットは188000円で、さらに使用料まで取られた。客がたくさん来るからみんなが悪用した。ヤクザより酷い圧をかけたのが行政だった。この時から業界は持たないと思っていた」と話すのは業界歴40年にピリオドを打った元業界関係者。

 

管理していた店舗のオーナーが末期がんで逝去。後継者もいないことから昨年10月末で廃業した。

 

「戦後の混乱期の治安を守ったのがパチンコ。うまくいけば、ハイライトやチョコレートがもらえた。それが本来のパチンコでそんなに儲かる商売ではなかった。サラ金業界がサポートしてパチンコ業界は大きくなった。業界を支えていたのはサラ金で、業界は客を煽り自殺者まで出した。だから、パチンコは本来の娯楽センターじゃないとダメ。その意味を今の若い人は分かっていない」(同)

 

箱根の温泉街には未だにパチンコの他、スマートボールや射的が楽しめる昔ながらのスタイルを踏襲している娯楽センターがある。50年以上続いている。